第十四話 父の想い

 

酒呑は這々(ほうほう)の体で飛翔していた。
ともすればふらつく躯に鞭打って、鞍馬山の本殿への帰途を急ぐ。
特段に急く用があるわけではなかったが、一刻も早く葛城山系を抜け出て蛟の領土から離れたかったのだ。

近頃は何かというと酒呑が蛟族への使いに出される。
折々の書簡に始まり、はては細々とした贈り物なども届けるのである。
一時期、疎遠になっていた両族の間が、先だっての〝長〟直々の訪問により復活したことになる。

最初の贈り物は、何かの礼のために〝長〟である彩扶錏が采配したものだが、それ以降の物は彩扶錏の意向ではなく、蛟の機嫌を取っておきたい重臣達の思惑によるものであった。
だが、初めに彩扶錏の供をしたのと、礼の贈り物の使いをしたことが運の尽きか、蛟への使いは公然と酒呑の役目となってしまった。

いや、そもそも運が尽きたのは、蛟の館に置き去りにされたことであった。
あの時の主の冷たい後ろ姿を思い出すにつれ、今も酒呑は情けなくなる。

ともかく、こう再々使いに出される酒呑は堪らない。
京の都の美しい物、珍しい物を届けると〝蛟の媛〟や侍女達は大変喜んではくれるが、それだけでは済まないから困るのだ。
別の悦びも欲しがるのである。
鬼族は概して精力絶倫ではあるが、それにしても限度というものがあった。
近頃の酒呑は、遊び女と戯れることも、仲間と女人の話で盛り上がることもしなくなっていた。

後少しで葛城山系を抜け、金剛山系に入るという所まで来て、酒呑はやれやれと腰をさするのだった。
ひゅんという風切り音と共に、矢が酒呑の(びん)を掠めた。
反応が一瞬でも遅れていたならば、その矢は左目を射抜いていただろう。
何事かと驚く間もなく数十本の矢が飛来する。
携えていた太刀を抜き放ち、右に左に薙ぎ払いながら襲撃者の姿を捜した。
いずこともなく現れたのは、二十ほどの黒装束達であった。

貌をすっかり隠していたが、眼だけが覆面の奥で冷ややかに光を放っている。
今度は一斉に刀でもって襲いかかってきた。
黒装束達はかなりの手練で、さしもの酒呑も応戦するだけで、敵の数を減らすことが出来ない。
その上、昨夜からの疲れで動きが思うにまかせず、ひとつふたつと躱しきらなかった傷が増えていく。
酒呑はじりじりと後退させられながら、敵の眼の中にある奸計に気付いた。
その気になれば刺せるであろう止めを、敢えて引き延ばし、後退させながら〝蛟の聖域〟に追い込もうとしていた。

〝蛟の聖域〟その中心に在る神木は蛟にとって何よりも大切な物なのだ。
その神木を血で汚すだけでなく、もし己が屍を幹に晒すような事になれば、たとえ敵に襲われてそうなったにせよ、蛟族の怒りを買うことは必至。
いかに〝蛟の媛〟が〝鬼の長〟に好意を持っていても一族を諫めることは難しいどころか、へたをすると戦にもなりかねない。

酒呑はありったけの力を振り絞り敵を押し戻す。
酒呑の太刀の切っ先が敵の覆面を切り裂いた。
と、顕れたその貌は黒とも土気色ともつかぬ厭な色の剛毛に覆われていた。

「きさまら〝出雲の土蜘蛛〟どもか!」

なるほど、以前から京を虎視眈々と狙っていた〝出雲の土蜘蛛族〟が、鬼族と蛟族の仲を絶っておいて、いよいよ戦を仕掛けてくるつもりらしい。
飛ぶ鳥を落とす勢いの鬼族といえ、土蜘蛛だけでなく蛟までも敵に回しての戦は分が悪い。

「前門の虎、後門の狼というわけか。
 だが、どうでも土蜘蛛どもの思惑どうりにはさせん!」

酒呑の決意とは裏腹に、既にすぐ後に神木が迫ってきていた。
ちらと神木との距離に視線を動かした隙を、敵は見逃してはくれなかった。
肩口を深く切り裂かれ、腕が痺れて上がらない。
迫り来る白刃に〝やられる〟と覚悟した瞬間、目の前が白い閃光に包まれた。
目が眩んだ酒呑は気付かなかったが、肉薄していた敵は閃光に貫かれて落下していった。

襲ってくるはずの痛みがいっこうに来る気配がないのに酒呑は首を捻る。
閃光が収まり、代わりに視界を埋めたのは銀の流れであった。
となれば、痛み苦しむ間もなく死んだのだろうか。

「ううむ、これが三途の川であるのか。
 しかし何とも美しいものだ」

と、呟いた酒呑に涼やかな声が応える。

「まだ黄泉平坂(よもつひらさか)までも達しておらぬわ!
 しっかり眼を見開いて太刀を振るえよ」

そう言って、ひらりと敵のただ中に切り込んだ声の主は、銀の流れのごとき髪を靡かせ、振るう度に獣の咆吼のような風切り音を上げる太刀でもって黒装束どもを薙ぎ払っていく。

《しっかり太刀を振るえよ》
と言っておきながら、敵が酒呑に向かうと、瞬く間に躯をひるがえし割って入って、それ以上は酒呑を疲労させなかった。

闘いというよりも優雅な舞いのような剣技に酒呑は見惚れた。
その凛々しい姿と、自ら発光するような不思議な(ひかり)を帯びる太刀にも確かに酒呑は見覚えがあった。
それは、酒呑の初陣の時の忘れられぬ出会いであった。

《だがあのお方は身罷られて久しいはず》

と、改めて眺めるとよく似てはいるものの、躯つきは遥かに華奢で眉や唇なども優しい。

《なるほど、ではあれが〝犬の媛〟か》

酒呑は合点した。
宙空を縦横無尽に飛翔しながら敵の刃をかいくぐる。
闘いを楽しんでいるようにさえ見える姿は、まさに摩利支天のようで、武人なら誰しも魅了されることだろう。
だがそれは若武者のような凛々しい美しさで、主が遠路足繁く通う執着は解らない。
酒呑は未だ女人を美しさやたおやかさだけで量っていた。
そう思った時、突然〝犬の媛〟の動きが止まり、幾分苛立ちを含んだ声で言い放った。

「つまらんな。
 きさまらでは余興にもならぬ、終いにするぞ!」

にやりと嗤うと一気に妖気が膨れ上がる。

日ノ本一と謳われる主の力を、身近にしている酒呑でさえも驚愕させる妖気は、彼の大妖を彷彿させる。
だがその下に密む力こそ戦慄を覚えるものであった。
盆の窪辺りから〝ぞわ〟としたものが広がり全身が総毛立つ。
〝力〟の何たるかも解らぬ童であっても怯えるであろうその異質な力に、黒装束どもは皆浮き足だった。

「まだやる気ならば心して掛かってこい!
 だが命が惜しくば()く去るがよい」

そのひと言に、まさに蜘蛛の子を散らすように黒装束の〝土蜘蛛〟どもは逃げ去った。
呆然と見詰める酒呑に、妖気を収縮させ微笑を向ける。

「大事ないか?」

奇しくもあの日と同じ言葉で訊ねてきた姿に、再び逢うことは叶わぬ相手に逢えたような心地がした。
そう、暖かく優しく僅かに哀しみをたたえたような深い眸の大妖怪の姿に。

言葉を無くした酒呑を気遣うように聞く。

「怖がらせたか」

自重気味の微笑に、慌てて礼をのべる。

「いえっいえ、危ういところをお助け頂きかたじけのうございます。
 わたしは京の鬼族が左軍の将軍〝酒呑童子〟と申すものでございます」

「ほう、鬼族の左軍と申さば大将の近衛も兼ねておろう。
 厭味ではなく、その将軍ともあろうものが手ひどくやられたものだな」

「恥じ入ります」

「妖力だけでなく、剣の筋から見て腕前もかなりなものだろう。
 それほどに傷を負うとは解せぬが・・・」

「はっ・・はい。
 少々障りがございまして・・・」

酒呑は言いよどんだ。
目の前の(すがしい)若武者のような相手に、寝やらずの行為で腰が定まらぬとは言いたくなかった。

「あなた様は〝犬の媛〟でいらっしゃいますね。
〝犬の御大将〟で在らせられた父君とよく似ていらっしゃる」

「我は銀花という。
 おまえは父上に逢った事があるのか?」

「はい、一度だけ」

銀花は、酒呑の酷い出血に眼をやった。

「話は後だ酒呑、降りるぞ」

言うなり地上に降りると、続いて降り立った酒呑につかつかと歩み寄り、己が飾り帯の垂れを引き裂くと、酒呑の傷口に巻き付けた。
畏れ多いと辞するのを黙殺して、頭ひとつ以上背の高い酒呑を、やりにくいと座らせ手際よく手当していく。

「しばらくすれば血も止まろう」

出血が止まるまで付いて居てくれるつもりか、銀花は近くの木の根元に腰を下ろした。
同じく腰を降ろして楽な姿勢をとった酒呑は、懐かしむように呟いた。

「媛様はお姿だけでなく、ご気性も父君によう似ておられますようで」

「先ほど父上に逢うた事があると申したな、それは何時の事なのだ?」

「あれはご一族と我が鬼族との和睦が破られたすぐ後でございましたか。
〝出雲の土蜘蛛〟との間に小競り合いが起こりました。
 その折りに、今日と同じように父君にお助け頂いたのです」

「そういえばそのような(いくさ)があったな」

 

その戦が酒呑にとっては初陣であった。
若輩ながら妖力と腕に自信があったのと、手柄を上げたいとの気負いから気付いた時には、
敵陣深く入り込んでいて数十名に取り囲まれていた。

月の無いその夜は、すでに夜半を過ぎ、塗り込めたような闇が深く重く広がっていた。
明かりといえば敵陣の篝火だけで、それが忌まわしい幽魂のように揺らめいていた。
傷つきながらもなんとか敵陣営からは抜け出たが、囲まれている事には変わりなかった。
じわりじわりと包囲を狭めてきた土蜘蛛たちの貌に浮かぶ下卑た嗤いに、後ればせながら罠に掛かった事に気付いた。
鬼族には美しい姿のものが多いが、酒呑も例外ではなかった。

まだ少年の気配が残る獲物をただ殺すのではなく、まずは嬲りものにする算段なのだろう。
流石に自陣営内では他の眼もあって憚られるので、わざと酒呑を陣外に逃がしたのだ。
いかな腕に自信があり妖力が勝っていようとも多勢に無勢、その上、相手は百戦錬磨の強者ぞろいである。
戦いの勝敗を決するのは妖力の強さだけではなく、実戦の駆け引きにおいては勿論相手が数段上手であった。
遂には押さえ込まれて躯を汚されそうになった時、助けの手を差し延べたのが〝犬の長〟であった。

当初、成り行きを傍観していた〝犬の長〟は、戦であるから殺るか殺られるかは致し方ないことだが、その汚らわしい行為を見過ごすことは出来なかった。

「あれほどの妖力、剣技を見たのは初めてでございました。
 御大将の剣は空間をも断ち切るような力強い剣。
 媛様の剣は舞のように優雅なれど鋭い剣。
 まるで違うように見えますが根底は同じでございますな」

「ああ、我に手ほどきしたのは父上であるからな」

「さようでございましたか。
 父君はわたしをお助け下さり、同じように、飾り帯で傷の手当を施して下さりました。
 『鬼族との確執もあるので、味方の陣まで送ってやることは出来ぬが、夜が明ける頃にはここは鬼族の優勢とな
 ろう』
 と、申されて夜明けまで側に居て下さいました」

「父上は何故そのような戦場(いくさば)に居られたのだろう?」

「打たせた太刀を受け取りに往った帰りだ、と申されておりました。
 その太刀でございますよ」

酒呑は銀花が傍らに立てかけていた太刀を示した。

「父上がご自分で〝號鉄(ごうてつ)〟を受け取りに往かれたのか」

「〝號鉄〟がその太刀の銘でございますか」

「そうだ。
 振るうと獣の咆吼のような風切り音がするだろう」

そう言って振ってみるかと太刀を酒呑に差し出す。
酒呑は苦笑を浮かべて辞退する。

「その傷では無理であったな」

「いえ、たとえ傷を受けておりませずとも、わたしではその太刀を鞘から抜くことはおろか、まともに持つことも出来
 ません。
 ずしりと巨岩のように重いのを存じております。
 父君ですら振るうことは〝いかん〟と申されておりました」

銀花は驚いた貌をした。
その太刀を他のものに触らせたことが無かったので気付かなかったのだ。
そう言えば、殺生丸にも触らせたことがなかったかもしれない。
だが蒼鉛は振るったことはないが、普通に持つことは出来るし、重いと聞いたこともなかった。

「その刀身が〝隕鉄〟から打ち出されているのはご存じですか?」

「ああ、知っている」

「では、それを打ったのは人間の刀匠であることは?」

「それは初耳だな」

〝犬の長〟は夜明けまでの徒然に、受け取ってきたばかりの太刀の話をした。
助けられたとはいえ反目している〝犬族の長〟の存在や、先ほどの輩に加えられそうになったあさましい所業に、緊張で躯を堅くしている酒呑を和まそうとの思いからだったが、まだ年若い何の縁もない相手のせいか〝犬の長〟のほうも気兼ねなく話せるようで、気が付けばいつになく饒舌に話し込んでいた。

その太刀は隕鉄から打ち出されているが、唯の隕鉄ではなく遥かな古の昔に飛来した隕石から取り出された鉄で打たれてあった。
打たれた刃は、人間にとっては徒有な刃に過ぎなかったが、妖怪が手にすることで強靱にして鋭利な稀なる刃へと変容するのだ。
が、同時にそれはとてつもない重量ともなった。

妖怪は皆その隕鉄の刃を欲しがったが、小太刀であってもなまなかの重さではなく、太刀の大きさともなれば、よほどの腕力と妖力であってもとうてい振るうことは叶わない。
一握りの大妖怪だけが小太刀程度の小さな物を所有しているに過ぎなかった。
そして〝犬の長〟も一振りの小太刀を所有していた。

故に、古の隕鉄から太刀を打ち出すことは、妖怪の刀匠には不可能だったので〝犬の長〟は、かねてより目星を付けていた、備前の国の刀匠に持ちかけ〝牙〟一本と引替えに承諾させたのだった。

後にその〝牙〟を砕いて鉄に練り込むことによって、村正など数振りの妖刀が打ち出されることとなるが、それは〝犬の長〟のあずかり知らぬことである。

「そのような重い太刀をどうされるお積もりなのですかと、お尋ねいたしましたら、
『これを与える媛は〝古の隕鉄の太刀〟を軽々と操るだろうさ』
 と、父君は嬉しそうにおっしゃっておりましたよ」

「そうなのか。
 父上はこの太刀を打たせるために〝牙〟を人間の刀匠にお与えになったのか」

銀花は、父の小太刀をそれとは知らずによく切れるからと勝手に持ち出して使っていた。
それを見咎められた時、叱りもせず驚いた貌をしていた父を思い出した。

「この太刀を頂いた時、嬉しくはあったのだが、父上の牙から打たれた刀の方がいいのにと思ったのだ。
 正直なところ酒呑の話を聞く今の今までそう思っていた。
 だが今は、この太刀が〝父上の牙の刀〟と同じに思える。
 教えてくれて感謝する」

「それはよろしゅうございました。
 その太刀を振るわれる媛様のお姿は、えも言われず美しく、この酒呑しばし見惚れましてございます」

酒呑の言葉に、面映(おもは)ゆそうな微笑を浮かべた貌は、戦いの最中の若武者のような風情とは打って変わって、まるでいとけない女の童(めのわらわ)のようで大層愛くるしかった。

「わたしは、ひとつ父君にお許し頂かなくてはならないようでございます」

「なんだ?」

「わたしは、媛様がその太刀をお持ちの姿を見るまでは、父君が太刀を与える〝媛〟とは、
 どこぞの〝媛〟だと、恋仲の〝媛〟だとばかり思っておりました」

「はは、そうなのか!」

「まことにわたしは品性下劣でありますれば、どうかご容赦頂きたく存じます。
 ですが、少々言い訳をさせて頂けるならば、父君にあられては〝媛〟〝媛〟と愛しげに連呼なさっておいでで、
 それはもう、懸想している媛のお話をなさっているようでした。
 それ故まあ、わたしの勘違いも致し方ないかと・・・・
 ・・・媛様、どうなさいました?」

銀花の貌には憂いを帯びた影が差していた。

「本当のところ父上は、この太刀を誰か違うお方に差し上げるつもりだったのかも知れないな。
 妖しには重くても人間の女人であれば何とか使えよう」

小さく呟いたその姿は、迷子の幼子のように見えた。
酒呑は己が失言したことに気付いたが、いったい何が失言だったのかは分からない。
酒呑は首を傾げた。
あの太刀は確かに銀花媛のための物である。
この歴然としている事実を何故この媛は曲解しようとするのか解らなかった。

とてつもない力を持ち、凛々しく、美しく、可愛らしい。
けれど心細げな幼子の一面も持つ。
誰に守ってもらう必要もないだろうが、守って差し上げたいと思わずにいられない。
今、酒呑は主の想いが少し解ったような気がした。

「そろそろ往くか」

と、立ち上がった銀花が、酒呑に肩を貸そうとしたのに驚いた。

「御身が汚れます!」

酒呑の傷は大方において出血は止まっていたが、細かな傷や乾ききらない血が滲んでいた。

「怪我人が気にする事ではない。
 それにまだ独りでは飛べまい?」

「いえ、飛べますとも」

銀花は酒呑の戸惑いなどお構いなしに腕を取ると飛翔し始める。
酒呑の躯を気遣い、ことさらゆっくりと飛翔する銀花の優しさが嬉しかった。
そして、酒呑の重さをものともしない銀花の飛力に改めて驚かされる。
どうやら薄衣一枚程度にも負担に感じていないようだった。
そっと横貌を盗み見ると、やはり凛々しい若武者のようで先ほどの迷子の幼子のような儚さは微塵も感じられない。
酒呑の視線に気付くと銀花は破顔一笑して言う。

「もうすぐだ」

その初夏の日差しのような笑顔に再び魅せられる。
気が付けば、いつの間にか眼が離せなくなっていた。

《このお方に懸想してしまいそうだ。
 このように真近に接したことがお館様に知られれば殺されるな》

酒呑はそっと苦笑した。

「どうした、躯が辛いか?」

「いえ、あの黒装束どものことを考えておりました」

慌てて酒呑は言い繕う。

「あやつらに何か心当たりがあるか?」

「はい、〝出雲の土蜘蛛〟どもでございます。
 我らと〝蛟〟の仲を絶ち切りたがっておるのです。
 その上で、またぞろ京に進出してくるつもりなのでございましょう。
 まったく、懲りないやつらです」

「やつらは〝出雲の土蜘蛛〟ではなかったぞ」

「なんと、斬り裂いた覆面から覗いていたのはたしかに〝土蜘蛛〟の貌でありましたが?」

「そうだな、しかし匂いが違った。
〝出雲の土蜘蛛〟の匂いは知っているがあれは違う。
 それに他の〝土蜘蛛〟衆でもない」

「では、やつらはいったい・・・」

「〝土蜘蛛〟の仕業に見せるつもりだった何者かだろう。
 鬼族に仇なさんと何かを企む輩がおるようだな」

「はい、戻りましたらすぐ主に報告いたします」

「それがよい。
 だが、我に遇うたことは他言無用だ」

「何故でございます?」

「ご一統の中には未だ〝犬族〟をよく思っていないものも多かろう」

「けれどお館様には」

「〝長〟には訊われたなら答えればよいが、わざわざ言うこともない」

「はぁしかし・・」

それは酒呑の〝将〟としての名誉を慮っての事だと察しが付いたが、酒呑自身は〝犬の媛〟
に助けられた事を《ありがたい》と思いこそすれ、恥じだとは微塵も思っていない。

先代の時の一族同士のいざこざは、元はといえば〝犬の長〟の力を恐れての〝鬼の先代〝や重臣達の小心な猜疑心から始まったもので、代替わりした今は〝犬族〟にさほど遺恨を持っているようには思えなかった。
唯、〝小角〟のように齢を経たものは〝犬の媛〟が宿していると云われている〝禍つ力〟を恐れているようである。
それは僅かに覗いた限りでも戦慄する力であったが、すでに傾倒している酒呑にはもう気にならなかった。

「送ってやれるのはここまでだ」

降り立ったそこは、都の南に位置する東寺の五重塔、最上部の笠であった。

「有り難うございました。
 この酒呑童子、ご恩は父君のご恩と共に生涯忘れません」

「大げさな」

「して媛様はどちらに?」

「ああ、近江にな。
 我こそ礼を言わねばなるまい。
 酒呑が父上の話を聞かせてくれたので、あそこへ往ってみる決心がついた」

「それはいったい・・・」

酒呑が言い掛けた時には、すでに銀花はふわりと浮かび上がっていた。

「さらばだ酒呑、また逢おうぞ!」

「はい、必ずや。
 媛様もお気を付けて!」

飛び去りかけてふと思いついたように銀花は振り返った。

「〝蛟の女〟どもに、『一度きに何度も相手は出来ぬ』とはっきり言ったほうがいいぞ!」

あっと酒呑が貌を朱に染めた時には、もう銀花の姿は小さくなっていた。

「ははは、お見通しでございましたか」

酒呑は銀花の姿が見えなくなるまで見送った。

 

第十四話 父の想い おわり