第二話 姉 弟

 

彼の大妖の面影を色濃く残す美しき女妖。
面影だけでなくその妖力の強さも受け継ぎ、いや更に強大なのかもしれない。
殺生丸は、今この血肉を分けた女妖と闘えば我が身に勝算はあるだろうか、と思案した。
そしてふいに不快気に眉を顰める。
邪気とも妖気とも違う気が銀花の廻りに漂っている。
しいて言えば霊気に近いが、その気からひしひしと敵意が感じられる。
《いったいこれは》

 

「殺、腰の物は天生牙か」

「姉上、父上は・・・」

「知っている。
 彼の地まで父上が亡くなられたことは聞こえて来た。
 ・・・今一度お逢いしたかった」

銀花が寂しげに貌を月に向けた時、今まで影になっていた右側の貌を月の光が照らし出した。
美しき(かんばせ)、頬に一筋菖蒲紫の妖線に殺生丸と同じ金の眸。
だが、右の眸はその髪を映したような銀色だった。
それはこの妖しの美しさをひとつも損なうものではなく、それどころか金と銀の眸は一層妖しい美しさを醸し出していた。
しかし、殺生丸にはすぐに分かった。
その美しい銀の眸が何物も映していないことに。

「姉上、右眼を失われたか」

「失ったのではない、くれてやったのよ。
 それより殺、おまえこそ左腕はどうした」

「同じく、くれてやりました」

そうかと、銀の眼を(すが)められた。
何物も映さない銀色がすべてを見透かしているようにもみえる。

「もう一人の半妖の弟はどうした」

「ご存知なのか」

先に立寄ったという西国の館で洩れ聞いたのだろう。
(かまびす)しくつまらぬことまで耳打ちする輩はどこにもいる。

「父上は人間と戦って炎に呑まれたと聞いたが・・・
 傷を負っておられたにしても、そのようなことでお命を落とされるとも思えんが・・・」

銀花には知るよしもなかったが、あの浜辺で最後に殺生丸が対峙した時、確かに希代の大妖の命は終わりを告げようとしていた。

「で、その子の名は?」

「・・・犬夜叉」

「ほう犬夜叉な。
 逢いに行くか、殺、案内致せ」

「あやつは姉上がわざわざ行かれるほどの者では御座いません」

僅かに眉を寄せた殺生丸に、銀花は怪訝そうに言う。

「逢ってみたいのだ、案内を」

「ならばお独りで行かれよ。
 犬夜叉の処に案内などごめんこうむる」

憮然と言放ったその刹那、銀花の右手が殺生丸の顎を左手が右腕を捉えた。
そして、右耳についと唇を寄せて囁く。
傍目にはやさしく口付けているようにも見えるが、その実、殺生丸はぴくとも動けない。

「殺、いつからこの姉の頼みが訊けなくなったのだ、うん?」

やさしい口調と裏腹の冷たい眸で見つめられ、この姉の存在だけが(よすが)であった頃に想いが還り、 思わず
《そんなことはない》と、(すが)りそうになる。
幼い頃の刷り込みとは恐ろしいが、そこは理性で抑えて無言を貫けば、

何と情けない、そんな薄情に育てた覚えはない。
昔は素直で可愛かった。
久方ぶりの日ノ本の地、まして土地勘のない東国で、この姉を放り出すのか。
寂しいことだ。
こんな事ならいっそ、かの地で命を落とした方がどれほどよかったろうか・・・・

あからさまな泣き落としと分かっていても、じわりと眸を潤ませられて、殺生丸はどきりと一瞬胸の芯を掴まれまれそうになる。
だがしかし、
《ふん それしきの事で(ほだ)される今のわたしではない》
と冷徹な態度をとる。

《ふふん、そうか殺生丸。ずいぶん生意気になったものだ》
金と銀の双眸(そうぼう)が意地悪く光る。

「そうそう昔おまえは、もう大きいのだから一人で眠れというに、いつも我の閨所(ねやど)に潜りこんできたものだったな。
 それに、あれは確か・・・・」

「案内致しましょう」

小さく溜息を吐いてそう言うしかなかった。
《独りで往かせて或る事無い事を犬夜叉に吹聴されてはかなわない》

はなからそう言えば良いものをと、美しい横顔が嗤っている。
《姉上、あなたは意地が悪くおなりになった。
 だが、いつまでも幼き頃の私と思われるな!
 もうあなたのいいなりの幼子ではないのですよ!》

そう心の中でひとり呟いている殺生丸をちらりと見やって、
《おまえの考えていることなど先刻お見通しだ》
と銀花は更に小さくほくそえんだ。

「殺、おまえは犬夜叉が嫌いなのか」

「しれたこと、あれは人間の女との間に生まれた半妖。
 それに父上はあやつら母子のために亡くなられた」

吐き捨てるように言う。

「だが、父上は本望であったろう。
 人間であろうと半妖であろうと愛しいものは愛しい。
 (はかな)き者であるからこそ愛しさも募るのかもしれん。
 おまえも、もう既に判っているのであろう」

おまえからは小さき人間の娘の匂いがすると言われて眉を(しか)めた。

「まあよい、行くぞ」

《咲かせられた桜に惹かれて雑魚妖怪どもが寄ってくるかもしれんな》
そんな殺生丸の思いを読んで銀花が言う、

「心配はいらぬ・・・蒼鉛(そうえん)

そう暗がりに向かって呼びやると、
木陰から現れたのは、白磁の肌に蒼みがかった黒の双眸、眸と同じ色の髪を長く背に垂らした長身の青年の姿。
美しい貌だが、人では無いのは匂いでわかる。
それは冷たくちらとだけ殺生丸を見やった後

「ここに、銀花様」

と、言葉を紡ぐと、なんとも優しい気配になる。
《気に入らんな・・・》
殺生丸は微かに柳眉を歪めた。

「殺、これは蒼鉛。
 わが麒麟だ」

《なるほど・・・姉に纏わり付いている気はこの者の気か》

「ほう 麒麟をお連れになったか
 天翔ける金の鬣の麒麟を見てみたいと申されておられたが・・・
 その麒麟の髪の色は金には見えませんが・・それとも本姓に戻ると金の鬣に変わるのか」

後半は蒼鉛に向かって挑発的に言い放った。
《気に入りませんね》
蒼鉛も殺生丸に劣らぬ優美な眉を僅かに歪めた。

「蒼鉛は黒麒なのだ。
 稀な物だが、霊力はなまじの麒麟より遥かに強い。
 蒼鉛、我が戻るまで向こうの小さき者を守っていてくれ」

言われて一瞬寂しげな色が眸を過ったがすぐに

「畏まりました」

と、礼をとる。

「殺 行くぞ」

既に浮遊し始めた銀花を見上げた後、その麒麟を振返る。
確かに強い霊力を感じた。
《わたしが居ない間にあの者に何かあったら、容赦せぬ》
と、無言のうちに怜悧な視線を投げかければ、

《あなたに念を押されるまでもない。
 わが主を待たせているではないか、さっさとおいでになるがいい》
此方も冷たく目線で返した。

月を背景に飛翔する美しき白い妖の二つの姿。

「お早いお戻りを・・・」

と、麒麟は微かに呟き木々の奥へと踵を返す。

眠りこける小さき者たちを起こさぬように距離を取りそっと見守る。
先ほどとは打って変わり、その顔に優しい微笑みが浮かんでいる。

麒麟は本来慈愛の獣なのだ。

 



 

軽々と夜空を飛翔しながら銀花は傍らの殺生丸に金と銀の眸を向けた。

「殺、叢雲牙はどうした」

「獄界に滅しました」

「おまえの腕を切り落としたのは、犬夜叉か」

「何故そう思われる」

「常なら日ノ本におまえの腕を切り落とす事が出来る者などそうはおるまい。
 ならば、おまえが常でなかったということだ・・・弟相手では流石に油断したか」

憮然とする殺生丸に、銀花は何故だか嬉しそうだ。

「左腕と引換えにおまえは何を手に入れた」

「・・・では姉上、あなたは右眼と引換えに何を手中にされたのか」

「我は麒麟を手に入れた」

《あの黒麒のために右眼を失くされたと申されるのか・・・あやつのために、な・・・》

 



 

目は閉じてはいたが、犬夜叉は眠ってはいなかった。

《来る・・・殺生丸の気配と匂い・・・それと・・・》

「みんな起きろ!ややこしい奴のお出ましだぜっ」

月景を背景に降り立ったのは、見慣れた白銀の妖と・・・・・

「あれって、犬夜叉のお父さん?」

かごめは驚いたように弥勒と珊瑚に問う。

「確かに、叢雲牙を葬った時に光の中に見た犬夜叉のお父上」

「でも、何だか若返ってるみたいよ」

「そうじゃな」

と、七宝はかごめの背に隠れるようにして伺っている。

「親父なのか??」

《殺生丸の奴、幽霊でも連れてきやがったか、それとも何かの罠か・・》

躊躇することなく近づいてきた父妖によく似た妖しは、だが近付くほどにその面差しは柔らかく優しいものであるのに気付く。
そして穏やかで美しい声音で話掛けてきた。

「おまえが犬夜叉か。
 我は銀花、おまえの姉だ」

「お姉さん」「姉上様」「姉上」「姉上じゃと―」異口同音に四人が同時に叫ぶ。

当の犬夜叉は余りのことに声もでない様子だ。
頭の中に一度に色々なことがよぎる。

《姉だとぉ、確かに親父の残像にそっくりだが、姉がいるなどそんな話は聞いたことも無いぞ。
 それにしてもとてつもなく強い妖力を持ってやがる!
 殺生丸よりも強いかもしれない!
 優しげに近寄ってきたが、こいつも半妖と嘲り、鉄砕牙を奪いに来たのか!
 めんどくさい奴がまた増えたってことか!
 まさか、他にもぞろぞろ出てくるんじゃないだろぅな・・・》

いつになく目まぐるしく頭を使っていたせいか、一瞬反応が後れ気付いた時には抱きしめられていた。

《えっ―えっ―えええええ》

姉は犬夜叉より幾分背が高く、覗き込んでくる眸は優しかった。
妖しく美しい金と銀の眸。
その腕の中は存外に居心地がよく、振りほどくのも忘れて惚けたように貌を見詰めてしまう。
犬夜叉の耳に手をやり、ふにふにと嬉しそうに触ってくる貌にはなんらの隔意も感じられなかった。

「ふふふ、おまえ犬耳があるのか、かわゆいな」

「えっ・・あっ・・うっ・・」

真っ赤になって意味不明な言葉しか出てこない。

「あねき?」

「そうだ」

「本当か?」

「ああ、寸分の疑いの入り込む余地もなく」

「あねき・・・銀花」

まわりの者たちも唖然と見詰めている。
唯一人殺生丸を除いて、
《馬鹿者が!姉上と呼ばんか》

「そんなこと殺生丸から聞いた事が無いぞ」

「旅に出ていて長らく不在だったのだ」

「俺を半妖と嘲らないのか」

「嘲る?何ゆえ」

「殺生丸は・・」

「殺が?」

是非を問うような銀花の視線に殺生丸はそっぽを向く。

「・・・ふむ、殺はな、ああ見えて照れ屋なのだ。
 素直に愛情を表現出来ない。昔はもっと素直だったのだが」

「照れ屋」「素直」「愛情」皆が同じ響きでもって異口を叫ぶ。

「姉上!」

これ以上いらぬことをしゃべられては叶わんと、殺生丸が割って入る。

「もう気が済まれたでしょう、戻りましょう」

《気安くさわるな》
とばかりに、じろりと犬夜叉を見やって目線で釘をさす。

「なっなんでい、抱きついてきたのはあねきの方だぞ」

「この痴れ者が!姉上と呼ばんか!」

「やるのか殺生丸」

いつものように鉄砕牙に手を掛ける、

「ふん、姉上に逢わせてやったのだ、もうこの世に未練もなかろう。
 今日こそ成敗してくれる!」

「上等だあ!おまえこそ鉄砕牙で真っ二つだ」

またか、と呆れる犬夜叉の仲間たちの様子とは違い、銀花はにこにこと嬉しげでさえある。

「殺、犬夜叉、じゃれあいはそのくらいにしておけ。
 今宵はもう遅い、残してきた者も気に懸る、戻るとしようか」

「はい、姉上」

その声音は犬夜叉に対するものと天地ほどの差がある。

「犬夜叉、また逢いにこよう!」

「おっおお」

ふわりと頭を撫でられて、照れながらも嬉しそうな犬夜叉に、またもや殺生丸は眉を顰た。

 

遠ざかる姿を見送りながら驚きを隠せぬようにかごめが言う。

「信じられないけど殺生丸ってシスコンだったのね!」

「しすこんって何、かごめちゃん」

珊瑚は問いかける。

「おねえさんに弱いってこと」

「なるほど、確かに兄上殿も何時になく姉上様の言葉には素直でしたな」

しみじみと弥勒は言う。

「犬夜叉の父上そっくりじゃが、きれいな姉上じゃったなあ」

七宝はうらやましそうである。

「そうよね。なんか男装の麗人、宝塚っぽいわぁ」

「たからづか?って」

「えーとだから、女性なんだけど凛々しくって背も高くて素敵ってことよ。」

 

みなの興奮とは裏腹に、犬夜叉は離れた所で独りぼんやりとしていた。
かごめはそっと声を掛けた。

「どうかした犬夜叉?」

「いや、何でもねえ」

「おねえさん、素敵だったね。
 半妖って言わないし」

「ああ」

「抱きしめられて嬉しかった?」

「ばっばか言ってんじゃねえ」

あんな風に抱きしめられたの何時以来だろう。
《あ ね う え》
心の中で小さく呼んでみる。
《殺生丸とよく似た匂いがしたな》

 

「犬夜叉様、銀花様が戻られたのか!」

犬夜叉の肩口で蚤妖怪が呟いた。

「冥加爺、あねきがいるの知ってたんだろ?
 どうして、今まで言わなかったんだ」

「旅立たれたのが犬夜叉様がお生まれになる遥か以前でしたし、向かわれた先は海の向こうの大陸だったのです。
 その後、幻の大陸に渡られたと風の便りがあったきりで、よもやお戻りになるとは思いませなんだ」

「何でそんな所にいったんだ?」

「・・・詳しくは存じませんが、なんでもお力が強すぎるのが災いしたとかで・・」

冥加の言葉は妙に歯切れが悪い。

「ねえ、冥加じいちゃん、知ってるなら何で出てこなかったの?」

かごめの問いに蚤妖怪は口ごもる。

「殺生丸がいたから?殺生丸が恐いから?」

「いえ・・・むしろ怖いのは銀花様で」

「なんだぁ、そりゃ」

「そうよ、優しい感じだったじゃない」

「お優しいのはよく存じておりますよ。
 ですが・・ 犬夜叉様は銀花様のあのお力を怖いと思われませなんだか」

「確かに殺生丸の力とも違う強い妖力を感じたが」

「ならばよろしいのです。
 そう、銀花様と殺生丸様とはお母上が違いますからやはり力の質が違いましょうな。
 お館様は銀花様のお母上が亡くなられて後、殺生丸様のお母上を娶られた。
 が、あのお方は気ままな方で、殺生丸様をお生みになるとふいとどこかえ行ってしまわれた。
 それから犬夜叉様のお母上、十六夜様と出会われたのです」

「じゃあ、犬夜叉のおとうさん三人も奥さんが居たってこと?あっいや犬夜叉のお母さんは愛人・・・ごめん」

「どうでもいいことだ。
 しかしおやじもやるなぁ」

「あんたの多情はおとうさん譲りってことかぁ」

「かごめ、なんてこと言いやがる」

「銀花様は特別なのです。
 お母上の朱花様もそれは強い妖力の持ち主であられた。
 朱花様はお館様の異母姉なのです」

「なんだってええ」「なんですってええ」 犬夜叉とかごめは同時に叫んだ。

犬夜叉は知らなかったが、妖怪の間では異母姉弟で結ばれることは特段変わったことでも禁忌だという訳でもないらしい。
だが時としてその子供は凄まじい妖力を持って生まれることがある。
それは母体を危険に晒すことになる。
銀花の場合もまさしくそうであった。
朱花は強い力を持つ女妖であったが産み月からひと月目にこの世を去った。

「じゃあ、あねきは母親の顔を知らないのか」

「お館様のお嘆きは大変なもので、一時は銀花様をお厭いになられて近づきもなさいませなんだ。
 それゆえ口さがないものは銀花様を〝呪われた子よ〟〝迦具土の媛よ〟と噂する始末でございました」

悲しみと怖れの産衣に包まれて生まれた銀花は、今度は物心が付くようになると、妖力を無邪気に加減なく使ってしまうようになる。
加減を知らない子供とはそんなものなのだが、なまじな妖力でないために結界の中に閉じ込めるしかなかった。
見えない壁で仕切られたそちらとこちら。何にも手を貸してはもらえない。
そのため銀花は早い時期から身の回りのことは独りで出来るようになった。
頑丈な結界を隔てても尚、世話する者の眸には怖れが見え隠れした。
寂しい幼少期を過ごさざるをえなかった銀花にとって、父の来訪だけが唯一の慰めだったのだ。
だが、その父にさえ疎まれていることに銀花はすぐに気付いた。
万難を排してやっと結ばれた愛しい妻が、腕の中から永遠に失われてしまった哀しみは、大妖怪の魂を凍り付かせるにも充分だった。

子さえ成さなければ、銀花さえ生まれなければと、理不尽な思いに囚われてしまう。
愛しき妻が命を賭して残したわが子を、厭う己自身に強い嫌悪を抱くがため、尚更に逢いに往くのが辛かった。
そして何かと理由をつけて銀花の結界邸から足が遠退いた。

「おねえさん寂しかったでしょうね」

「おやじのやつ・・・・
 あねきには何の責任もねえじゃないか」

「お館様が苦しまれなかったとお思いか?お辛かったのですよ」

銀花は世話してくれるもの達から漏れ聞いた噂話の断片から、己が父に疎まれている理由を知った。
だが、理不尽ともいえるその理由が判っても父を恨むことは一切なかった。
誰にも触れることも抱き締められることもない銀花にとって、体温が感じられるほど近くに寄ってくれるのは父だけだった。
父の大きな手に触れてみたかったが、拒絶が怖くて甘えることが出来なかった。
それでも、たまさかに訪れる父に必至に笑いかけるが、父の眸に冷たい景を見出したくなくて、視線が交わる寸前で逸らしてしまう。
片やそんなわが子が哀れで、抱きしめてやりたいと思いながらも逸らされた視線に今更と出しかけた腕を引き戻していた。
お互いの気持ちを推し量り過ぎて踏み出せない。
まったくよく似た性情の父娘と言えた。
そしてその後、ある程度打ち解けて父娘の愛情を交わせるようになってからも、後一歩を踏み越えて胸中を吐露することが出来ず、ついには愛別離苦を向かえることになる。

「お館様は、犬夜叉様と十六夜様を守るために、お命を賭されたことを後悔なさってはおられませなんだでしょう。
 ですが、最後の時に今ひとめ銀花様にお逢いなされたかったと思いますじゃ」

《あねうえ・・・》
犬夜叉はもう一度心の中で呼んでみるのだった。

 



 

傍らを憮然と飛翔する相手に

「なんだ殺、不機嫌そうだな」

「そのようなことはありません」

「そうかな」

「そうです」

「おまえは気付いておらんのだろうが、昔から気に染まぬことがあると額の三日月の色が濁るのだ」

「えっ」

「見せてみろ」

と、右手を伸ばし殺生丸の顔を己に向かせ唇の端にそっと小さく口付けた。

「機嫌は直ったか」

と微笑めば

「これくらいでは直りません」

と、そっぽをむく。

殺生丸の頬が僅かに紅かった。

「くっくくく、今度は朱に染まった」

あわてて額に手をやる殺生丸にさらに笑いこける。

「冗談だ、くくく」

「・・・・」

思い起こせば銀花はいつも殺生丸をからかって笑っていた。
ひょっとして愛情を掛けられていたというより、玩具にされていたのではあるまいか、という疑念が今頃湧いてきた。
まだ笑い収まらぬ銀花の横顔を見て、それでも笑っていてくれれば良いと殺生丸は思った。

「姉上、父上はわたしに〝天生牙〟を犬夜叉には〝鉄砕牙〟を残された。
 もし姉上が居られたら〝叢雲牙〟を委ねるおつもりであったのでしょうか」

「さぁどうであろうな」

《だが、父上は我にもっと良いものを残してくださった、可愛い弟を二人もな》

 

第二話 姉 弟 おわり